スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

率5号特集「インターテクストの短歌史」巻頭言  吉田隼人

 こんにち、短歌史をめぐる言説はおもいのほか図式的、類型的なものにとどまっています。もちろん伝記的な著作や、具体的な事項や作品を列挙するという意味ではすでに大きな仕事がいくつもなされています。しかしその基礎をなすはずの「歴史」観に目を向けてみると、そこではいまだ旧態依然としたヘーゲル式の歴史哲学が我が物顔で通用しているといるのです。
 斉藤斎藤氏の「〈なかよし〉について」(『歌壇』本阿弥書房、二〇一三年一二月号)は、現代の社会状況、文化状況、出版状況といった点から若い世代の作品傾向、そして人間関係の在り方について非常に端的にまとめられた好論考でありましたが、それだけに「短歌史」を語るうえで歌人がいまなおヘーゲル的な図式に依存しているという事実をもまた端的にあらわしています。
 これだけでは何のことやらおわかりいただけないと思いますから、この「ヘーゲル的な図式」というのを仮に「弁証法的」な短歌史観というふうに言い換えてみましょう。弁証法的な歴史観というのはかいつまんで話せば、既に先んじて与えられている前提条件――難しい言葉を使えば「与件」(データ)ということになります――を否定することで、人間が歴史を進展させていく、という考え方のことです。具体的にいえば、自然そのままの環境では生きるのに厳しすぎるので、森を伐採したり、堤防を作ったりして自然を破壊する、すなわち否定することで、人間の暮らしよいように開発していくという一連のプロセスを歴史として見るのが「弁証法的」な歴史観だといえましょう。あるいはもっとヘーゲルの歴史哲学に即した例を挙げるならば、最初は王ただ一人だけが自由を享受するような絶対王権から始まった人間の歴史が、その王権に否定が加えられることで王のみならず貴族階級もまた自由を享受できる時代を迎え、さらにその貴族制が革命によってまたも否定されることで多くの市民(ブルジョワジー)にも自由が享受される共和制の時代が訪れる、というふうに、幾度もの「否定」を介して徐々に自由の担い手が拡がっていく、というのが弁証法的な歴史観の典型です。ちなみにこの先にもうひとつ、労働者階級による共産主義革命という「否定」を加えることで歴史が進展して完成にいたる、というのが、ヘーゲル左派といわれる流れのなかに生じたマルクス主義史観のごくごく簡単な原理ということになります。
 この弁証法的な歴史観というのを『精神現象学』の読解講義を通じて二〇世紀の時代状況に適用してみせたのがアレクサンドル・コジェーヴで、たとえばその講義の出席者からはジャック・ラカンのように、コジェーヴを介したヘーゲル理解を背景にして、フロイトの象徴的な「父殺し」という理論を読みなおした思想家が出てきます。先に説明したようなヘーゲルの、先んじて与えられた与件を「否定」することによる歴史の進展という考え方は、父という先行者を息子が象徴的に「殺す」ことで乗り越えて歴史を前に進めていくという、やはり進歩主義的なフロイト式の歴史観とよく調和します。蛇足を承知で付け加えておけば、ヘーゲル的な歴史哲学の発展形としてのマルクス主義史観とフロイト流の「父殺し」とが結託した状況を解体しようとした有名な試みが、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』でありました。
 ともあれ、ここまで長々とまとめてきた歴史観を「弁証法的=父殺し的」な歴史観、と仮に呼ぶことにしましょう。こうした歴史観は必ず「否定できるものがなくなった」状態、あるいは「息子が父を乗り越えて進歩することのできなくなった」状態、というかたちで「歴史の終わり」という結末を暗示しています。この、何も否定しようがない「歴史の終わり」において人間はただひたすら肯定的に所与のものを享受するだけとなり、否定する動物としての人間という最大の特徴を失って、ただの「動物」になるのだ、というのがコジェーヴの有名な見解で、これをオタク文化や技術の進展といった現代日本の状況に適用して「データベース消費」という情報享受の在り方を提示したのが、東浩紀のベストセラー『動物化するポストモダン』だったのは記憶に新しいところです。
 その『動物化するポストモダン』からもうそろそろ一五年近い時間が経過しようとしているわけですが、斉藤氏の「〈なかよし〉について」もまた、当時の東浩紀が論拠にしていた「スーパーフラット」を「ツイッター」などの文化現象、社会状況に置き替えて、やはり基本的には同じ構図を反復しているように思われます。斉藤氏は服部真里子、大辻隆弘、大野道夫、といった各氏の言葉を引きながら「さいきん短歌をはじめた若手歌人」の人間関係のフラット化について概観したうえで、島田修三氏の文章を引いて「かつての『師弟関係』」をそこに対置します。

師の作品を愛し、師の偉大さを認めるからこそ、師とは異なる文体やモチーフを創造し、師を乗り越えようとすること。師からの否定をバネに、師を否定的に乗り越え、独自の歌風を開拓するに至る過程が、師弟関係の本質なのだろう。フラット化によって失われるのは、この「否定をバネにする」動きである。                   「〈なかよし〉について」
 
 ここで斉藤氏が「かつての『師弟関係』」の本質として取り出した「師を否定的に乗り越え、独自の歌風を開拓するに至る過程」というのはそのまま先に述べてきたような「弁証法的=父殺し的」な歴史観と驚くほどよく合致します。自分に先立つ与件=象徴的な父としての「師」を「否定」することで、つまり擬似的に殺すことで「乗り越え」、そして「独自の歌風を開拓する」ことで短歌史を進展させる、という進歩主義的な史観が「かつて」存在していたことを斉藤氏は前提しているのです。そしてコジェーヴ経由でヘーゲル的な歴史観を(また同時にラカン経由でフロイト的な「父殺し」の歴史観をも)受容した東浩紀がそうだったように、斉藤氏もこうして「かつて」展開してきた短歌史が「さいきん」になって「歴史の終わり」を迎えつつあるという方向へ論を進めていきます。角川『短歌』の「新しい歌とは何か」という座談会から特に、近世から近代を経て前衛短歌ごろまでは「古典との否定問答」によって新しさが創出されていったとする川野里子氏の発言や、先行する歌人に「師事」するという関係性に対して「ユーザー」という受容の在り方があらわれてきたという穂村弘氏の発言を引きながら、それらをまとめるかたちで斉藤氏は「若手歌人たち」の「過去との向き合い方が変わった」という見解を示しています。

「師事する」とはつまり、過去の作品や時代や師匠と対決し、否定問答をバネに自分独自の文体を創造することなのだとすれば、「ユーザーになる」とは、過去の作品のデータベースから、時代や作者に関係なく、自分の描きたい世界に適した修辞や意匠を自由自在に摂取し、それらを組み合わせて使用することである。            「〈なかよし〉について」
 
 この「否定から摂取へ、対決から使用へ」という潮流をこのあと斉藤氏は「第一歌集文庫」「新鋭歌人シリーズ」といった出版界の状況によって裏付けて、さらに穂村弘「〈わがまま〉について」というあのエポックメイキングな論考を下敷きに、斉藤氏から見た「いまの若者」としての大森静佳・藪内亮輔両氏の言葉を補助線として引きつつ、論考を結論付けていくことになりますが、ここではそこまで深追いすることはしません。要するに斉藤氏が先の座談会や「いまの若者」たち自身の言葉を根拠に、師弟関係という「対決」によって進展させられてきた「かつて」の短歌史が「さいきん」終わりを迎え、そのポスト短歌史の時代を生きる「いまの若者」たちが先行する歌人やその文体をまさに「データベース」的に摂取し、消費しているという、きわめて『動物化するポストモダン』と酷似した論旨を展開していることが確認できればそれで十分です。
 そのことを理解していただいたうえで僕は問いたいのですが、短歌史というのは本当に、ここで「かつての『師弟関係』」として前提されているような「弁証法的=父殺し的」歴史観に基づいて展開してきたのでしょうか? そして象徴的な「否定」「父殺し」としての師弟間の「対決」構図が失効してしまったために、「いまの若者」は先行するテクストを無批判かつ肯定的にデータベースから「摂取」することで作歌しているのでしょうか? ひょっとすると「データベースからの摂取」という短歌受容の在り方は「さいきん短歌をはじめた若手歌人」たちに限ったことではなく、漠然と「かつて」として対比されている「いまの若者」以外の歌人たちにも見られたのではないでしょうか?
 たとえば、僕たちは「古典と刺し違える」という言葉に惑わされて、塚本邦雄が実際のところその「古典」とどのような関係を取り結んできたかということを見誤っていはしないでしょうか。塚本が古典に対してとってきた態度をひとつひとつの著作に即して見直してみると、それはたとえば『定家百首』『雪月花』『王朝百首』『清唱千首』、そして『西行百首』のように「アンソロジーを編む」こと、あるいは『新古今和歌集』や『百人一首』といったアンソロジーが前提されていることを考え合わせれば、既存のアンソロジーから新たに「アンソロジーを編み直す」ことだったといえます。また本歌取りや古典和歌の「翻訳」としての詩作、といった仕事も含めて、塚本における古典の受容態度というのは畢竟、古典和歌というデータベースから任意の作品を選び出して「編み直し=並べ替え」「翻訳=読み替え」「本歌取り=書き換え」するという、きわめて「データベース消費」的な操作だったと結論付けることができるように思います。こうした古典和歌受容の背景には常に『国歌大観』をはじめとする膨大なデータベースが塚本の参照項として機能していたことをも考え合わせればなおさら、塚本の態度は「古典との否定問答」「対決」というより「データベース」的な「摂取」であったと考えた方が適当というものでありましょう。
 あるいは寺山修司にしても、その短歌的出発が先行する俳人や詩人の作品を模倣し、剽窃し、引用するという操作によって成り立っていた以上、やはり「対決」や否定を介した「師弟関係」というよりは「データベース」消費と呼んだ方がいいように思われます。いちど発表した自作をその後も何度も書き換え、並び替え、さらには俳句を短歌に作り替えたり短歌を映画に作り替えたりしたことを思えば、寺山は自分自身のテクストをもデータベースとして消費し、ときにプログラムを書き換えるように変更を加えることで「新しい」作品として発表していたとさえいえるかも知れません。
 もしかしたら、というこれはあくまで控えめな仮説ではありますが、このように既に先行するテクストと「データベース」的な関係を取り結ぶことで創作をおこなっていた寺山や塚本が先に逝き、『アララギ』という師弟関係の総本山のような組織と、ときには「対決」し、それを「否定」することで創作を進めてきた岡井隆ただ一人が生き残ったというきわめて偶然的な状況のために、現代になって「かつては『師弟関係』という否定問答によって短歌史が進展し、新しい短歌が創出されていった」という安易な図式が《創作》されてしまったのではないか、とさえ僕は思います。
 そこで『率』五号では「歌人たちによる先行テクストの受容」という問題を、前述のような「師弟関係」と「データベース」、「師事」と「ユーザー」、「対決」と「摂取」といった単純な二項対立の図式に還元されないような用語として、仮に「インターテクスト」と総称することで改めて個々の事例に即して再検討する、という目的を掲げ、同人および外部ゲストによる評論を掲載することとしました。同人からは瀬戸夏子、藪内亮輔、吉田隼人がそれぞれ評論を寄せたほか、近藤健一・永井祐の両氏から原稿をいただくことができました。近藤氏は河野裕子のある連作を題材に、自選歌集に再録する際の取捨選択、先行テクストとしての山村暮鳥の影響、さらにはやまだ紫の漫画作品における引用といった複数の角度からその「インターテクスト」性を検討しておられます。一方、永井氏は土屋文明のとりわけ『山下水』を取り上げて短歌史――とりわけ「アララギ」派――における文明の位置付けを再検討するとともに、そこから短歌史全体の転換点を探るという、また別の方向から「インターテクスト」的な試みを寄せてくださっています。一見すると後者などはどのあたりが「インターテクスト」なのかと思う読者もおられるかと思いますが、たとえばこの評論を、結社に所属することなく歌人として独自の活動を続ける永井氏が「土屋文明」という先行テクストといかに向き合ってきたかというふうに読むことは、『日本の中でたのしく暮らす』と『山下水』とのあいだの「インターテクスト」性を僕たち自身が考える契機となることでしょう。
 もちろんここで掲げた「インターテクストの短歌史」という問題は、この『率』五号だけで終わるものではありません。近現代短歌のテクストが先行するテクスト――そこにはもちろん短歌以外のテクストや、日本語以外で書かれたテクストも含まれます――からいかなる影響を受け、またそれ以後のテクストにいかなる影響をおよぼしてきたのか、という問題はこれからも僕たちを含め、さまざまの論者によって問われることになることと思います(少なくとも僕は、そうあることを期待してこの一文を草しています)。こうした個々の試みこそが、いまなお師弟関係という名前で流通する「弁証法的=父殺し的」歴史観と、その失効としての「データベース」という二元論的な構図を解体し、更新するための第一歩となることでしょう。僕たちもそろそろ「新しい短歌史」に向けて踏み出してもいい頃です。
スポンサーサイト
メニュー
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。